韓国の美・文化・歴史のページ
 
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안녕하세요

 밀키웨이(Milkey Way)の由来ですが、星にこだわったのは、人も人が紡ぐ歴史も星のようにずっと過去から栄枯盛衰を繰り返しながら恒久的に続きその時々に一瞬の輝きを放ち、また泡沫のように消える…。さながら太陽のように大きく輝く星から名も無い星まで、さまざまな星が交差して夜空を彩っていく。人の世界もまた同じかと。

 さて、その国の言葉を学ぶには、言葉を生み出した背景になる、歴史や文化を知ることがとても大切なことです。この밀키웨이は、韓国の美、文化、歴史のそれぞれの時代のドキュメントを、会員間共通の、韓国、朝鮮をもっと知り、もっと好きに、そして、本場韓国の、流れるようなハングルの聞き取りにも慣れ親しむ、会員間の交流の場になっています。

 
次回予告
         スケジュールはこちら  MilkyWayは不定期となりました。


 一昨日までは2分咲き程度だった成田山の桜も今はわれ先にと咲き始めています。
さて毎回遅筆で申し訳なく思っています。2ヶ月ある…と思っていました、ミルキィーウエィが
もう明後日。どうしてこうも早くに時間が過ぎていくのかと少々うらめしくも思ったりしています。

            『朝鮮時代の男性も耳飾をつけた』

 さあ!気を取り直して、今回は朝鮮時代と近過去のお話の2本です。

 1本目は『朝鮮時代の男性も耳飾をつけた』というお話です。
父母からいただいた大切な体、たとえ髪1本でも傷つけないはずの儒教の国朝鮮で耳に穴をあけて
まで耳飾をしていたとは驚きですね!では遡っていつから男性は耳飾をしていたのか?

 3世紀初めの百済の遺跡、ここから見つかった金の耳飾が国内第1号です。
形式として太環式耳飾と細環式耳飾に分けられますが、太環式耳飾は女性用で、男性用は細環式耳飾
をつけました。細環式耳飾は、北方匈奴鮮卑族が共有した形式で、1572年9月28日「宣祖実録」により
禁止令が出されるまでは平民、軍人までもが耳に穴をあけ、1500年前のはるか昔から続いてきた伝統
だったのです。

 では、なぜこの時期に連綿と受継がれていた文化が禁止されたのでしょうか?
ここには大国【明】が絡む特別な国際情勢がありました。→DVDへと続く。

            『飛んでる!ほら!安昌男』

 2本目は『飛んでる!ほら!安昌男』。韓国がまだ日本の統治下にあった時代、祖国の空を飛んだ
韓国人初の飛行士、それが安昌男(1901~1930)でした。

 1922年12月、故国訪問飛行は、日本から取り寄せた機体に韓半島を、尾翼には金剛山を描いて
金剛号と呼び、汝矣島から離陸、まずソウル上空を旋回し続いて曲芸飛行を披露して、集まった5万人
のソウル市民の歓呼と喝采を浴び、感激して万歳を叫び、たいへんだったと当時の新聞に記載されて
います。(当時ソウルの人口は30万人)

 この訪問飛行は植民地統治下で希望を失った朝鮮の民衆に、民族の誇りと自負を植えつける大事件
でした。英雄のいない時代青空を飛ぶ彼は植民地朝鮮の英雄だったのですが、独立運動を理由に
彼に関する記事は検閲で本と新聞から消されていきます…。

 彼は19歳で日本に渡ります。いち早く開化した日本は航空技術導入にも積極的で、そこで飛行術のみ
ならず飛行機の原理と整備を学びました。1921年日本は民間航空免許制を導入し飛行学校出身者にも
試験史を課しましたが、初の免許試験に17人が挑戦し、合格したのは彼を含む2名だけでした。

 日本の航空で植民地出身の彼が第2号の免許習得者なのです。彼はまた「小栗飛行場にて」という寄
稿文の中でこう記しています。「日本で新技術の飛行術を学ぶ自身の存在が韓国人の励みになれば」と。

 しかし1923年の関東大震災で地震ではなく“韓国人が井戸に毒を入れた”という悪質な風評のため
多くの韓国人の命が奪われるという事件が起き、彼も生命の危機にさらされますが一人の日本人女性の
機転で助かります。ここから彼がどのような経緯をたどり、独立運動へと進むのか?
楽しみにしていて下さい!


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